ちゅんさんの月一おすすめ本『フィフティ・ピープル』チョン・セラン
先月読んだ本の中からおすすめの本を紹介します。
先月(2018年10月)読んだ本は17冊、さすが読書の秋けっこう読みました。
おすすめしたい本はたくさんあるのですがその中で今回紹介するのは、
チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)です。
まずは著者、訳者の紹介
チョン・セラン(著者)
1984年生まれソウル出身。他に『アンダー、サンダー、テンダー』など、今後目が離せない韓国の若手作家です。
斎藤真理子(訳者)
『カステラ』(パク・ミンギュ)、『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ)などを訳している韓国文学には欠かせない翻訳家です。
この小説に主人公はいません。
いや、しいて言えば全員です。その数50人、だから“フィフティ・ピープル”
それぞれの物語が少しずつ重なって大きな一つの物語になっていきます。
先に出てきた人物が違う章で名前を伏せられて出てきたり、がっつり出てきたりと読んでて楽しいです。
たぶん見逃してる人も結構いると思うので、今から再読が楽しみです。
目次がチョアヨ!
目次が個性的でそれぞれの人物イラストと名前が見出しになっています。
この目次のおかげで名前は覚えられなくても顔で覚えました。(〜〜って誰だっけ?あーこの人ネ、みたいな)
著者の誠実さ
登場人物が50人(実際はもっといます)もいるのにチョン・セランさんは1人たりとも手を抜いていません。
一人ひとりが活き活きと描かれていて本当にどこかで生活しているんじゃないかと思うほどです。
だからとてもリアルで“こういう人いるよね”と思う事多々。
その中でもお気に入りの人物が出てきてこんな風になりたいな、と思う人も何人かいました。(わたしのお気に入りは“元ドラマー”と“ソおじさん”です。)
最後に
著者のチョン・セランさんは「入口の風船みたいな作家でありたい」と言っています。
どういうことかというと「複雑な思考や苦悩を読者と共にする作家はたくさんいる、私は軽やかな気安い作家になりたい」ということです。
遊園地や百貨店の入り口で揺れるカラフルな風船のように、文学に接するエントランスで読者を迎える存在でありたいと。
このエピソード一つをとってもチョン・セランさんの誠実さがあらわれていると思います。
最後の最後に、、。
正直言ってこの小説の良さを一割も伝えられていないです。
実際読書メーターではこんな感想。
本当に好きな本や良い本に出合ったら言葉は出ない、というかいらないのかもしれませんね。
だからみなさんもとりあえず読んでください!
そしたら“この気持ちをハングルで誰かに伝えたい!”と思うと思います。
バラエティに富んだSF短編集『無伴奏ソナタ』オースン・スコット・カード
“エンダーのゲーム”の著者オースン・スコット・カードの短編集
こんにちは!就活連敗中のちゅんさんです。
今回紹介するのは“エンダーのゲーム”の著者オースン・スコット・カードの短編集『無伴奏ソナタ』です。
この短編集には“エンダーのゲーム”も含まれています。
もともとは短編だったんですね。知りませんでした。
この本の著者はオースン・スコット・カード一人なのですが、訳者は三人います。そのせいか訳者が変わると作品の雰囲気も変わります。
そして“エンダーのゲーム”のような宇宙SFっぽい作品から少し不思議なおとぎ話のようなものまでバラエティに富んだ短編集となっているのできっとあなたにもお気に入りの作品が見つかると思います。
収録作品
- エンダーのゲーム
映画化されたあの“エンダーのゲーム”の原型です。荒削りな感じはしますがその分、可能性を大いに感じます。これが後に長編、映画化されるのも納得。
- 王の食肉
〈羊飼い〉は不思議な力を持った斧と杖を持って王のために食料を調達します。さてどこからでしょうか?ディストピア小説のような残酷な童話のような話。
- 深呼吸
ある日主人公は二歳になる息子と妻の呼吸がぴたりと一致してることに気がつきます。これが何を表してるのかは読んでのお楽しみ。いや、楽しいお話ではないけれど。
- タイムリッド
タイムマシンを使って悪遊びをする若者たちの話。この話に出てくるトラックの運転手が可哀想でしかたない。
- ブルーな遺伝子を見につけて
作者曰く、「ハードな短編のひとつで、もっともストレートな“ストレート”SFだろう」。私にはイメージしづらく一番読むのに苦労しました。
- 四階共用トイレの悪夢
まさに悪夢としか言いようのない話。なんかジョジョの奇妙な冒険に出てきそうなモノが出てきます。
- 死すべき神々
哲学的なものを感じました。神秘的なSFといった感じでしょうか。
- 解放の時
“世にも奇妙な物語”にありそうな話。作者の妻の夢から構想を広げた作品みたいです。
- アグネスとヘクトルたちの物語
二つの話が並行して語られるのではじめはよくわかりませんでしたが、、よくできた短編です。
- 磁器のサラマンダー
SFというよりちょっと不思議な悲しいおとぎ話のような作品。この短編はふざけてせがんだ妻のための寝物語としてはじまった、らしいです。まじすか!?
この短編集の中で一番好きです。ぜひ一読下さい。
『無伴奏ソナタ』だけでも読んでほしい!
SFを読み慣れていないので読むのに多少時間がかかりましたが、読み終えてみるとこれはなかなか優れた作品集なんじゃないかと思いました。
その理由として一つはバラエティに富んだ作品集であること、同じひとりの作者にこんなに雰囲気やタイプの違う話が書けるのかと驚きました。
アンソロジーと言っても疑う人はいないでしょう。
あと一つは作者があとがきでも言ってるように登場人物がどんなに悲惨な状態になろうと、どれもハッピーエンドになっているからです。
私は悲しい話が嫌いではありません(”いやミス”と言われるのは嫌いですが)。
そしてこの短編集全体に言えることですが、憂いや悲しみを帯びています。なのにハッピーエンドに感じられるという不思議な作品集です。
もしかしたら悲しみと喜びは表裏一体なのかもしれません。
『エンダーのゲーム』は映画化もされてあんなに注目されているのに『無伴奏ソナタ』はあまり読まれていないように感じます。
実際私も知人に紹介してもらうまで知りませんでした。
もしかしたらこれより良い短編集はあるかもしれません。おそらくあるでしょう。
でも“無伴奏ソナタ”だけは読んだ方がいい!とはっきり言えます。
それぐらい“無伴奏ソナタ”はこの短編集の中でも抜きんでています。
ぜひ多くの人に読んでいただけたら嬉しいです。
小説「赤ひげ診療譚」とドラマ「赤ひげ」
小説「赤ひげ診療譚」とドラマ「赤ひげ」
こんにちは、ちゅんさんです。毎日ブログ書くって難しいですね、3日も空けてしまいました。
みなさんは山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」を読んだことがありますか?
この小説は私のバイブル的な作品でとても大切にしています。
その"赤ひげ診療譚"がNHKで「赤ひげ」としてドラマ化され、たまたま第一話を見たら面白かったので毎週かかさず見てしまいました。
ドラマが良かったので小説も読みたくなって久しぶりに再読しました。
“赤ひげ診療譚”のあらすじ
時は江戸、御目見医を目指していた保本昇は三年の長崎遊学を終えて江戸に帰ってきます。
しかし許嫁のちぐさに裏切られ、御目見医になるはずが小石川養生所で働くことに。
その療養所の責任者が“赤ひげ”こと新出去定医師です。
傷つき何もかもが気に入らない若者保本が赤ひげのもとで貧困と病にで苦しむ患者を診ていくうちに成長していくという話です。
ドラマ「赤ひげ」の見どころ
ドラマ「赤ひげ」の見どころはもちろん船越英一郎演じる赤ひげ、ではなく主人公保本、でもなく同じ療養所の医員 津川玄三です。
彼は小説ではあまり目立ちません、というかあまり出てきません。
しかし、ドラマ「赤ひげ」ではとてもいい味だしてます。
ドラマ「赤ひげ」がいくら良かったといっても小説を上回るほどではありません。
しかし、唯一ドラマが勝ってるところがあるとしたら“津川玄三”です。
そこに注目して見てみてください。
原作「赤ひげ診療譚」
小説は連作短編の形式になっています。
そこに出てくる人々は例外なく貧乏で作中の言葉を借りるなら“無知と貧困”で苦しんでいます。
はっきりいってこの小説、読んでいると打ちのめされるような場面が多く苦しいです。
山本周五郎は人間の醜い所も尊い所も包み隠さず全部書いています。
そんな山本周五郎の誠実さが私は好きです。
「赤ひげ診療譚」があるから今がある
「赤ひげ診療譚」は私にとって本当に特別な作品です。
この小説があるからこそ今の私があると言ってもいいぐらいです。
あまりに思い入れが強くうまくまとめることが出来ませんでしたが、みなさんもこの小説を読んでくれたら嬉しいです。
今年はあと何パーセント?今年中に読む本をまとめてみた
今年が何パーセント経過したかわかりますか?
こんばんは、まだ無職のちゅんさんです。
みなさんは今年がどれぐらい経過したかすぐに“%”で答えられますか。
感覚的に78%ぐらいかなと思って調べたら80%でした。惜しい。
『今年 何パーセント』でググるとこういうのが出てきます。
だから今年は残りあと20%です。(だからなんだ)
みなさんやり残したことはありませんか?
私は1年で100冊本を読むことを目標にしています。
現在79冊だからほぼ月日の流れと同じペース。いいぞいいぞ。
ということは逆に言うと今年はあと20冊ぐらいしか読めないので、先に読む本を決めちゃいました。
こちらが今年中に読む本のラインナップ(汚い字でごめんなさい)
今年は名作や古典をたくさん読むと決めたのにあまり読めてないので、「ゴリオ爺さん」と「動物農場」を。
仮想通貨やAIに興味があるのでその関連本多めに。
あとSFの巨匠ハインラインとブラッドベリの代表作「夏への扉」と「華氏451度」。
そして好きな吉村昭と新田次郎の作品を1冊ずつとその他いろいろ。
今年中に就職できる気がしないので、もう100冊読破の目標だけは絶対に達成したい思います。
みなさん応援したくださいね。(笑)
勇気、希望、夢、友情、知恵、もちろん愛も!“全部盛り”『二分間の冒険』岡田淳
ここにはすべてが詰まっている。
こんにちは、現在就活6連敗中のちゅんさんです。
今日、凄い本を読みました。
読書メーターで読友さんにおすすめしていただいた『二分間の冒険』岡田淳(偕成社文庫)です。
およそ児童文学に必要な勇気、希望、夢など思いつく限りすべてが詰まっている素晴らしい小説でした。
ざっくりとあらすじ
不思議な黒猫(ダレカ)に関わってしまった主人公の悟はひょんなことから異世界に連れていかれてしまいます。
その世界からは『この世界で一番たしかなもの』に姿を変えた黒猫(ダレカ)を見つけなくてはもとの世界に戻れません。
さらに異世界にいたクラスメイトたちは悟のことを誰だか知らない様子。
そして話の成り行きから悟はかおりと共に竜のいけにえに決まってしまいます。
いけにえになるために竜の館に向かう途中で二人は、ただ竜のいけにえになるのではなく、知恵(なぞとき)と力(剣)で竜と対決するということを知ります。
はたして悟は竜に勝つことができるのか、『この世界で一番たしかのもの』を見つけられるのか!?
といった感じの王道ファンタジー冒険小説です。
途中こういった挿絵があるのは児童書ならでは(タッチがリアルで恐い)
出てくるのは昭和っ子
冒険の話なのに、なぜかどこか懐かしくホッとする感じがありました。
ひとつはやはり児童文学だからでしょう。
そしてもうひとつは出てくる子供たちの名前が“さとる”、“こういち”、“かおり”、“ちさこ”とみんな昭和!
ここには“はると”や“みゆ”など一人も出てきません。
松坂世代の私はもう親近感が湧いて仕方がない。
それもそのはずこの本の初版発行は1985年(昭和60年)。
私が小さい頃からすでに存在していたのです。
読み終えた直後…
読んで直後の感想は「こ、これは児童文学の傑作では…?」でした。
なんで「?」がつくのかというと、私は大人になってから本を読むようになったので、児童文学というジャンルの本をほとんど知りません。
なので比べることは出来ませんが、今読んでもかなりワクワク、ドキドキしました。
そしてありきたりなストーリーかと思いきや予想のななめ上をいく展開もありかなり楽しめました。
この本と子どもの頃に出会っていたら本好きになったのに…。と思いましたが、今読めただけでも十分ラッキーです。
児童書を書店で買うのが恥ずかしかったのでメルカリで買ったことをちょっと後悔しました。
児童文学を侮るなかれ!
はじめは“おすすめって言っても児童文学でしょ?”と甘くみてました。
今はすみませんでしたと謝りたい!
私は本を読まない子供だったのでにこういう児童文学の傑作をほとんど読み逃しているはず。
これからは児童書コーナーも巡回しなくては。
ますます積読の山が増えそうです。
もし児童文学未開拓な方はぜひ読んでみてください。
児童文学好きな方はもっといい作品があれば教えてください!
知ってる?HSP(敏感すぎる人、繊細さん)のこと
あなたはHSPを知っていますか?
HSPとは“Highly sensitive person”の略でアメリカのエレイン・N・アーロン氏が提唱した概念で日本語では「超敏感気質」といいます。
最近では『敏感すぎる人』や『繊細さん』と言われHSP関連の本が増えています。
私もHSP?
私も日ごろから些細なことが気になり生きづらさを感じていたので、書店でHSP関連の本を見つけて2冊ほど読みました。
すると書いてあることはほぼ当てはまり驚きました。
たとえば
- 職場で機嫌が悪い人がいると気になる。
- 人と長時間一緒にいると疲れてしまう。
- ふつうに会話していても、相手の言葉のニュアンスが気になりいつまでもぐるぐる考えてしまう。
などです。
どうですか?少しでも当てはまると思った人はHSPの可能性が高いです。
なぜなら研究の結果によると5人に1人はこの特性に悩まされているらしいからです。
HSPは病気じゃない
HSPの人は感受性が強いためストレスからくる、肩こり、慢性疲労、虚弱などの原因不明の体調不良に悩まされる人が多いようです。
また回りの人が気づかないような小さな変化にも気づくため人からは『気にしすぎ』とか『そんな細かいこと言ってもしょうがない』と言われることもしばしば。
そのようなこともあって“私はおかしいのだろうか?”、“病気なのかな?”と自信をなくしたり不安になったりする人も多いはず。
でも安心してください!HSPは病気じゃありません。
一定の割合(5人に1人)であなたの回りにも必ずいる身近な人です。
HSPの存在意義
HSP研究の第一人者アーロン氏はHSPは人間だけでなくすべての生物にも同じ割合いるといいます。
あなたがもし狩猟時代に生きていたとします。
ウサギを追ってて虎の存在に気づかないとしたらどうなりますか?
そのような危険にHSPの人はいち早く気づきます。『おい!虎に食われるぞ!』と。
つまりHSPは種の生存にとても重要な役割を果たしているのです。
なんでこんなことするの?
私は普段生活していて『なんでこんな無遠慮な振る舞いをするんだろう?』とか『なんでこんなことするの?』とイライラすることがよくあります。
しかし最近読んだ“「気がつきすぎて疲れる」がなくなる「繊細さん」の本”にそういった“「なんで?」と思う前に、相手がそれをそもそもできるのか?という視点で相手を観察することが必要”と書いてありすごくスッキリしました。
「そうか、配慮が苦手なのか」「こちらの状況に気づくことが、そもそも苦手なのか」と考えることで楽になりました。
最後に
現代は普通に生活していても疲れます。
それなのにHSPの人はさらに人より感じやすいので疲労も倍増。
そんなあなたに世間の人は「気にしすぎ」とか「小さなことにこだわるな」と言うでしょう。
しかしHSPの人に「気にしない」ということはできません。
でももし、私たちのようなHSPの人たちがいなくなれば社会はどうなるでしょうか?
かなり住みづらい摩擦だらけのよりストレスフルな社会になるでしょう。
また私たちHSPが小さな危険や変化に気づき未然になにかの問題を防いだとしてもそれは評価されにくいです。
でも確実に世の中の役に立っています。
目に見えなくても誰かに評価されなくても私たちHSPはHSPの存在意義を知っています。
まだHSPを知らないという方は書店へ走ってください。そして回りにいるHSPに思いを馳せてください。
彼らが潤滑油として普段あなたの知らないところで頑張っている姿を見つけることができればそれはあなたにとっても社会全体にとっても有意義な経験になると思います。
この記事を普段気にしすぎで悩んでる人やHSPを知らなかった人に読んでもらえたら、嬉しいです。
私が読んだHSPの本です。
記録小説の最高峰『八甲田山死の彷徨』新田次郎
新田次郎の代表作にして記録小説の最高峰『八甲田山死の彷徨』を読みました。
この小説は実際にあった八甲田山雪中行軍遭難事件をもとに書かれた記録小説です。
日露戦争前夜、明治35年、青森
ある日、一つの会議で来たる日露開戦に向けて八甲田山雪中行軍を二つの聯隊で競わせるような形で行うことが決定されます。
第5聯隊は神田大尉が指揮官を務め青森から、第31聯隊は徳島大尉を指揮官として弘前から八甲田山を行軍することになります。
第5聯隊に山田少佐が加わることに
第5聯隊に山田少佐他数名の本隊が随行することになります。これが不幸のはじまりです。
山田少佐は何かと第31聯隊をライバル視して31聯隊とは違う形でこの雪中行軍を行うことを神田大尉に強要します。
そのひとつが第31聯隊は38名の中隊編成だが、第5聯隊は210名の大所帯になり意思統一が難しくなってそれが後の大惨事につながります。
指揮権が山田少佐に
はじめ第5聯隊の指揮権は神田大尉が持っていました。
しかし案内人を立てるという神田大尉の意向を山田少佐は「戦をするのに案内人を頼むな」と一蹴。
そのまま山田少佐の出発の号令がかかりそのことにより事実上、指揮権が山田少佐に移ります。
一方で第31聯隊は終始徳島大尉が指揮権を持ちます。
多少強引で案内人に非常な面を見せるも指揮はぶれません。
第5聯隊が行軍してまもなく天候が悪化します。
これに神田大尉と軍医が「この天候で行軍は不可能だ」と山田少佐に中止を申し出、作戦会議が開かれます。
その会議の途中に一人の下士官が「不可能を可能にするのが日本軍ではないか」と言いその一言で山田少佐はまたもや神田大尉の意向を無視し前進の号令をかけます。
そこから第5聯隊の“死の彷徨”がはじまります。
壮絶な雪山での描写
用を足したいが手が凍傷で使えないためボタンが外せずそのまま出してしまいそこから凍っていって死に至る者。
あまりの寒さに頭がおかしくなって服を脱いで川の中に飛び込む者。
簡単に次々と人が死んでいく。
こんなにリアルに凄惨な場面が書けるのも記録小説だからではないでしょうか。
この事件が人材育成に使われることへの違和感
結果として第5聯隊は199名の犠牲者を出します。それに対して第31聯隊は全員無事。
このような対照的な結果から人材育成の研修でリーダーシップの教材として『八甲田山死の彷徨』が使われることがあるようですがそれに私は違和感を感じます。
そもそもなぜ地元の住民が無謀だというような真冬の八甲田山雪中行軍を強引にも行うことになったのか。
それは“不可能を可能にするのが日本軍”というような精神論が物語ってる戦中の日本軍の思想です。
また作中、ある将校が『第5聯隊も第31聯隊も勝ったのだ』という場面があります。
それは第5聯隊は犠牲者こそ出たもののその教訓がロシアとの戦争で活かされ日本軍の敗北を未然に防ぐことになるからだ、というものです。
その論理を聞いて私はぞっとしました。
戦争というのは人々をここまで狂わせるものなのかと。
記録小説の大切さ
『八甲田山死の彷徨』は残された数少ない貴重な記録と作者である新田次郎の現地での綿密な取材によって書かれた記録小説です。
この小説を読んでいてはじめは山田少佐に憤りを感じました、しかし最後まで読み終えると山田少佐も被害者の一人と思うようになっていました。
この雪中行軍では生き残った第31聯隊の隊員もその後の日露戦争でほとんどが犠牲になったそうです。
その事実を淡々と書き連ねていくからこそ伝わってくる日本軍の不条理さ、戦争の理不尽さを感じました。
そこがこの小説の読みどころであり記録小説から学ぶ大切さでもあると思います。
なので安易なリーダーシップ論で終わらせてほしくありません。
一人の本読みとして大局的な視点でこの作品を読んでくれることを切に願っています。
(高倉健主演で『八甲田山』として映画化されているようなのでそちらも見てみます。)