ちゅんさんの読書ブログ

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記録小説の最高峰『八甲田山死の彷徨』新田次郎

新田次郎の代表作にして記録小説の最高峰『八甲田山死の彷徨』を読みました。

 

この小説は実際にあった八甲田山雪中行軍遭難事件をもとに書かれた記録小説です。

 

日露戦争前夜、明治35年、青森

ある日、一つの会議で来たる日露開戦に向けて八甲田山雪中行軍を二つの聯隊で競わせるような形で行うことが決定されます。

 第5聯隊は神田大尉が指揮官を務め青森から、第31聯隊は徳島大尉を指揮官として弘前から八甲田山を行軍することになります。

 

第5聯隊に山田少佐が加わることに

第5聯隊に山田少佐他数名の本隊が随行することになります。これが不幸のはじまりです。

山田少佐は何かと第31聯隊をライバル視して31聯隊とは違う形でこの雪中行軍を行うことを神田大尉に強要します。

そのひとつが第31聯隊は38名の中隊編成だが、第5聯隊は210名の大所帯になり意思統一が難しくなってそれが後の大惨事につながります。

 

指揮権が山田少佐に

はじめ第5聯隊の指揮権は神田大尉が持っていました。

しかし案内人を立てるという神田大尉の意向を山田少佐は「戦をするのに案内人を頼むな」と一蹴。

そのまま山田少佐の出発の号令がかかりそのことにより事実上、指揮権が山田少佐に移ります。

 

一方で第31聯隊は終始徳島大尉が指揮権を持ちます。

多少強引で案内人に非常な面を見せるも指揮はぶれません。

 

第5聯隊が行軍してまもなく天候が悪化します。

これに神田大尉と軍医が「この天候で行軍は不可能だ」と山田少佐に中止を申し出、作戦会議が開かれます。

その会議の途中に一人の下士官「不可能を可能にするのが日本軍ではないか」と言いその一言で山田少佐はまたもや神田大尉の意向を無視し前進の号令をかけます。

そこから第5聯隊の“死の彷徨”がはじまります。

 

壮絶な雪山での描写 

用を足したいが手が凍傷で使えないためボタンが外せずそのまま出してしまいそこから凍っていって死に至る者。

あまりの寒さに頭がおかしくなって服を脱いで川の中に飛び込む者。

簡単に次々と人が死んでいく。

こんなにリアルに凄惨な場面が書けるのも記録小説だからではないでしょうか。

 

この事件が人材育成に使われることへの違和感

 結果として第5聯隊は199名の犠牲者を出します。それに対して第31聯隊は全員無事

このような対照的な結果から人材育成の研修でリーダーシップの教材として『八甲田山死の彷徨』が使われることがあるようですがそれに私は違和感を感じます

そもそもなぜ地元の住民が無謀だというような真冬の八甲田山雪中行軍を強引にも行うことになったのか。

それは“不可能を可能にするのが日本軍”というような精神論が物語ってる戦中の日本軍の思想です。

また作中、ある将校が『第5聯隊も第31聯隊も勝ったのだ』という場面があります。

それは第5聯隊は犠牲者こそ出たもののその教訓がロシアとの戦争で活かされ日本軍の敗北を未然に防ぐことになるからだ、というものです。

その論理を聞いて私はぞっとしました

戦争というのは人々をここまで狂わせるものなのかと。

 

記録小説の大切さ

八甲田山死の彷徨』は残された数少ない貴重な記録と作者である新田次郎の現地での綿密な取材によって書かれた記録小説です。

この小説を読んでいてはじめは山田少佐に憤りを感じました、しかし最後まで読み終えると山田少佐も被害者の一人と思うようになっていました。

この雪中行軍では生き残った第31聯隊の隊員もその後の日露戦争でほとんどが犠牲になったそうです。

その事実を淡々と書き連ねていくからこそ伝わってくる日本軍の不条理さ、戦争の理不尽さを感じました。

そこがこの小説の読みどころであり記録小説から学ぶ大切さでもあると思います。 

 なので安易なリーダーシップ論で終わらせてほしくありません。

一人の本読みとして大局的な視点でこの作品を読んでくれることを切に願っています。

 

高倉健主演で『八甲田山』として映画化されているようなのでそちらも見てみます。)